Rio de Janeiro

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2013年11月25日月曜日

琉球。沖縄。日本人。

日本中どこに行っても大平洋戦争の記憶はある。しかし、沖縄ほど今にいたるまでその記憶を強烈に留めている土地は、他には広島と長崎くらいか。

以前勤めていた会社の沖縄出身の同期は、沖縄戦終結の6月23日に、同期全員に「今日は沖縄出身者にとって特別な日です。」から始まるメールを送ってくれたことを今でも覚えている。

今回沖縄に行き、バスガイドさんのアテンドがあったが、各土地で沖縄戦の際にどんな状況だったか行く先々で話してくれた。
首里城の地下に日本軍の司令部が設けられたため、首里城は艦砲射撃に遭い、「一木一草」も無くなったそうだ。

宴会で伝統音楽を披露してくれたおじさんは、BOOM の「島唄」の歌詞の本当の意味を教えてくれた。米軍の攻撃から逃れるために逃げたサトウキビ畑であなたと出逢い、そこでまた死んでいく。
https://www.youtube.com/watch?v=DKB41krUnVU&feature=youtube_gdata_player

南海の小国であった琉球は、関ヶ原で敗れた薩摩島津家の三千の兵に1609年に攻められて以降、日本に隷属する形になった。言葉もまったく違う民族に虐げられ、大平洋戦争では本土決戦の前の捨て石にされ、戦後は基地の島として蹂躙される。アイヌ、朝鮮人と並ぶ、ヤマトによる強烈な差別と搾取の歴史だ。そしてその差別は今なお現在進行形で続く。

首里城の鐘には世界の架け橋という意味の「万国津粱(ばんこくしんりょう)」という言葉がある。日本が、沖縄の置かれている状況に真摯に向き合い、さらに万国津粱になることが、歴史の過ちから学ぶということになるのだと思う。