Rio de Janeiro

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2016年5月16日月曜日

iPader

やっぱiPadにはこれがないとね・・・


2016年4月28日木曜日

閉幕

それなりに長く踊ってきたのかと思います。
少なくとも、踊ろうとしてきたと思います。
それは楽しかったです。
でも、楽しいだけではだめですから。

時は過ぎて、風は止んだようです。
幕が開かないと分かった時、迷わずに舞台から降りるべきなのです。

2016年4月25日月曜日

今注目すべき社会テーマを特集するサイト「On Board」立ち上げました!

私が代表を務めるUnited Youthでは、若者が今注目すべき社会テーマを特集し、
問題を理解したうえで、個人個人がどんな行動が取れるのかを解説する
On Boardというサイトを立ち上げました。

最初の特集は今開催中の「G7伊勢志摩サミット」です。

今後少しずつ記事をアップしていきます。
ぜひご覧ください!


2016年4月10日日曜日

18歳選挙権の意義と課題

昨年(2015年)6月17日、公職選挙法が改正され、早ければ2016年の参院選より選挙権年齢を20歳から18歳に引き下げることとなりました。これはじつに70年ぶりの選挙権年齢の改定となります(1945年に25歳から20歳に引き下げ)。

18歳選挙権がどのような意義があり、また課題は何なのか、オルタナSさんにて記事を投稿していますので、関心のある方はぜひご覧ください。


「18歳選挙権」で若者と社会に課せられた課題とは

18歳選挙権、「シルバーデモクラシー」の改善にはならず

2016年4月8日金曜日

戦艦大和沈没の日に

昨日4月7日は戦艦大和が沈没した日だった。
BS日テレで戦艦大和特集をやっていた。

3年前の夏に、「太平洋戦争って具体的にはどんな戦争だったんだ?」とふと思って、
YouTubeで動画を探し始めたのは、戦後教育は自虐史観だ、
という言説がまことしやかに言われていたからだということを思い出した。

自虐史観だという批判になんとなくしか答えられない自分がいたので、
実際はどうだったかをもっと知りたくなった。

知ってみたら、どうだろう。

日本が一方的に悪かった、とは言わない。

むしろどちらが悪いかということより、いかに悲惨な戦いをしたか、言葉にならない気持が毎度のこと襲って来るのだった。

3年8か月の太平洋戦争のうち、首尾よく勝っていたのは最初の6カ月。
7か月目にミッドウェーで大敗して、その2か月後にガダルカナルを占領され、取り返すのに失敗。

陸軍は連合国から見ればブリキのおもちゃみたいな戦車を使い、
40年前の日露戦争からさして変わらない銃剣突撃を続け、
兵を送り出すたびにほとんどみなごろしにされ、または飢えと病でゾンビのようにさせたあげく、
どの指導者も「退却」を言い出せず、多くの戦場で膨大な数の無意味な血が流れた。

開戦から1年半もしたら、太平洋戦域ではまともに勝てることはほとんどなくなっていた。
押しまくられるばかり。
そして終戦を決断したのはその2年以上後のこと。

「国体護持」つまり天皇制維持のために、講和条件を良くするために、一撃を与えてから戦争を止めると指導者は言う。

しかしほとんど戦う力もなく、日に日に力が弱っていく日本と、日に日に増強されるアメリカ。
どうやったら「一撃」を与えられるのか。
絶望の中で、甘美な妄想にすがっていただけではないか。

マリアナで航空部隊が壊滅し、サイパンが陥落した時。

フィリピンを奪還され、完全に南方資源の輸送ルートが断たれた時。

なぜ戦争を止められなかった。

フィリピンでは、既に特攻作戦が始まるくらい、どうしようもない状況だったじゃないか。

一億総特攻とは、言い換えれば指導層の無能、無責任、無自覚、そして堕落の全ての詰め合わせじゃないか。
多くの特攻隊員に言い聞かせたように、自分たちが「先駆けとなって」死ねばよかったじゃないか。
そうしたら戦争を「続けたい」人はいなくなるんだ。

戦艦大和の乗組員が、沖縄への特攻作戦の折に言った言葉は、 今を生きる私たちに多くのことを語りかけている。

進歩の無い者は決して勝たない。
負けて目覚める事が最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじすぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。
今目覚めずしていつ救われるか。
俺たちはその先導になるのだ。
日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。


戦争は、国や民族の本質を浮き上がらせている。
だからこそ、戦争と、戦争を起こした社会からもっと学ばないといけないと思う。

戦争とは何だろう。
国家とはなんだろう。
日本とはなんだろう。
私とはなんだろう。
太平洋戦争は、そのことをずっと考えさせる。

2016年4月5日火曜日

「自虐史観」とは何か? (Platnews)

Japanese_textbooks

この4月から大きく変わった歴史教科書

2014年に告示された新しい教科書検定基準に則り、この4月から中学校で使用される歴史教科書が大きく変わった。これまで許容されていた表現に対して検定で修正を求められたのは64件、歴史の検定意見の20%を占める。新検定基準では、
  • 政府の統一見解や確定した判例がある場合は、それに基づいた記述がされていること
  • 近現代の歴史的な事柄のうち、学術的な通説が定まっていない場合はその旨を明記し、生徒が誤解しないようにすること
などが求められる。また、審査要項として、
  • 愛国心などを盛り込んだ教育基本法の目標に照らして重大な欠陥があると判断された場合、不合格にすること
という項目が盛り込まれた。

この変化の背景にあるもののひとつとして挙げられるのは、これまでの歴史観を「自虐史観」として否定する考え方だ。それでは、自虐史観とはどのようなものなのだろうか。

90年代から急速に盛り上がる「自虐史観」批判

主に明治から昭和初期の日本の歴史(近代史)に関して、戦前・戦中の日本の行いは一方的に悪かったとする史観を、「自虐的である」として、そのようには捉えない側が呼ぶ名称。いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」の存在および程度に関して通説に対する疑義が呈される中で、従軍慰安婦の強制性を認める河野官房長官談話(1992年)や、帝国主義時代の日本の行いを謝罪した村山総理大臣談話(1995年)が発表された。これらを契機として、日本の歴史の捉え方を見直すべきだという運動が保守層を中心に盛り上がる。

歴史教科書では、三省堂の高校日本史教科書執筆者である家永三郎による教科書検定に関する裁判や、中国、韓国からの批判を受け、1980年代中ごろより歴史教科書は戦前の日本の行いを克明に記す方向に変化する。高校は1994年から、中学は1997年からすべての教科書に「従軍慰安婦」に関する記述が盛り込まれた。このような動きに反発した保守層は、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)を1996年に結成。

自虐史観の特徴

自虐史観と批判する側の指摘は、主に以下の3点に大別される。

  • 歴史的事実の歪曲
いくつかの歴史的事件では、様々な議論があり定説が定まっていないにも関わらず、中国・韓国や一部研究者の主張を一方的に採用し、歴史的事実であるかのように扱われている。
  • バランスの悪い歴史観
その時代の世界情勢や日本の置かれた状況を無視して、現代の感覚で過去を説明しようとしている。また日本の過去の行いは徹底的に批判する一方で、他国の類似またはもっとひどい行いについては言及せず、日本だけが悪行を行っていたかのような書きぶりである。
  • 国や教育に対する姿勢
教育を通じて愛国心を涵養し、子どもたちに自国に対する自信をつけさせることが大切であるのに、教育を通じて自国に対する自信を喪失させる内容ばかり取り上げている。

見直される事実関係

これまでの通説で歴史的事実の認識に誤りがある指摘されているのは、例として以下のことが挙げられる。

  • 南京大虐殺(南京事件)
1937年に日本軍が南京を攻めた際、中国側の発表では30万人以上もの中国軍人・民間人が虐殺されたとされてきた。しかし、中国側が発表する数字の証拠は信憑性が乏しく、各種の推定によって、虐殺された人数は30万人よりも相当少ない(2万人~20万人など)と考えられる。そもそも虐殺の存在自体に疑問を投げかける論者もおり、「大虐殺」と言い切ることは不適当であるとしている。
  • 従軍慰安婦
これまで日本軍が朝鮮、中国、その他支配地の女性数万人~数十万人を強制的に従軍させ、性的な奴隷状態としていたとされてきた。しかし、日本軍の関与する「慰安所」で働く「慰安婦」はいたが、当時は合法であった娼婦と同じで、職業としての売春であり、日本の調査では強制性を示す直接的根拠は見つけられなかった。朝日新聞などマスメディアの誤報も問題の拡大に拍車をかけた。
  • 東京裁判
極東国際軍事裁判(東京裁判)によって日本軍が戦時中に犯した数々の罪は断罪された。しかし、東京裁判は連合国による一方的な裁きであり、裁判と言えるようなものではない。それにもかかわらず、東京裁判の結果をもって日本の非を一方的に認めようとする傾向が日本社会にある。また、米軍による日本の都市への無差別爆撃や原爆投下など、連合国軍側にも指弾されるべき行いはあるにもかかわらず、日本の行為だけが一方的に裁かれていることは不公平である。

戦後歴史観を構成する要素

戦後の歴史観の形成には、以下のような要素が関わってきた。

戦後直後、連合国軍占領下の日本では「プレスコード」と呼ばれる報道規制が敷かれていた。30項目からなるこの報道規制では、連合国や極東国際軍事裁判(東京裁判)などを批判することが禁じられ、出版物は検閲を受けた。1952年のサンフランシスコ講和条約発効によりプレスコードも失効したが、自虐史観を批判する側は、プレスコードの内容は依然として日本のメディアや教育界、歴史学会に根付いているとする。

また、戦後教育において、日本教職員組合(日教組)を中心として著しく近代日本を貶める教育が行われたとの批判がある。教職員組合の歴史を紐解けば、戦時中、教師が教え子を積極的に戦場へ送り出した経験から、それに対する反省として平和教育を特に推進してきた。一方で、組合の主な組織基盤が旧社会党や共産党など、帝国主義的体制や思想に強く反対する組織が主であったため、帝国主義時代の日本を全否定する側面もあったと思われる。

一部マスメディアについても、自虐史観批判者の言う「自虐的」な内容(時に事実と違う内容も含め)多く発信してきたことから、「偏向報道」「反日」と言われ、自虐史観形成の一翼を担ってきたと批判されている。マスメディアは戦前・戦中に政府のお先棒担ぎとなり、戦争へ踏み込む大きな原動力となったとの反省から、体制に批判的に、そして特に戦争に関しては抑制的に報道するようになった側面がある。一方で、検証が不十分なまま情報を垂れ流す傾向は、戦後教育によってできあがったある種の「自虐的雰囲気」に乗っているだけとも言える。

自虐史観がもたらすとされる「国益」損失

自虐史観を批判する側によれば、自虐史観は大きな問題点をはらむ。自虐史観に基づいた日本の世論と、従軍慰安婦などメディアの誤報による誤った事実認識は謝罪外交を正当化させ、それに便乗する形で中韓は海外で「旧日本軍の残虐性」を過度にアピールする運動を展開。このことによって日本はイメージを大きく傷つけられ、国益を大きく損なったと指摘する。この「国益の損失」を取り返すため、「歴史認識に関する情報戦」を(特に中韓や、朝日新聞など彼らが左翼偏向的とするメディアと)戦わなければならないとし、「歴史戦」と題する著作(阿比留瑠比著)や同タイトルの産経新聞での連載がある。

批判の応酬ではなく建設的な議論を

昨年、日本は戦後の防衛・安全保障体制を大きく変える決断を行った。今後の日本の進む進路を考える上でも、太平洋戦争までの日本をどのように捉えるかは極めて重要だ。

そうした中で、日本は善か悪か、自虐かそうでないか、という二元論に陥らず、事実認識をより充実させ、ひとつずつ社会のコンセンサスを積み上げていくことがまず必要不可欠だろう。
そして、憲法改正の議論が盛んになってきた今、何を私たちは戦前・戦時中の歴史から読み取り、これからの社会づくりに生かしていくかを考えていくことが、日本の大きな課題となるのではないだろうか。

2016年3月31日木曜日

自民党供託金の減額検討、現状の供託金は適正か?(Platnews)


自民党青年局が党に対して行った提言が、3月12日発表された。「社会保障」「教育」「若い世代の政治参加」の3本の柱の中で、「若い世代の政治参加」では被選挙年齢の引き下げや投票をしやすくする仕組みに加え、「国政選挙における供託金の引き下げ」も提言されている。
また、20日には、参院選公約に「被選挙権年齢引き下げの検討」、「供託金の減額検討」を掲げる方向だと党幹部が明らかにした。
国政選挙や知事選挙の際にたびたび話題に出される供託金とは、どのようなものだろうか。

供託金とは

選挙における供託金とは、立候補時に法務省などの「供託所」に定められた金額を預ける(供託)お金のことであり、公職選挙法92条・93条で定められている。一定の票数を獲得することができれば返却されるが、そうでない場合や立候補を途中で取りやめた場合は没収される。
日本の各種選挙における供託金の金額とその没収点は表のとおりである。
公職選挙法より筆者作成

なぜ供託金制度があるのか

1925年の普通選挙法の施行により納税要件が撤廃され、満25歳以上の日本国籍を持つ男子全てに選挙権が与えられるようになった。その一方で供託金制度が導入され、立候補時に国政選挙で2千円を収めることが義務付けられた。当時の東京の公立小学校教員の年収の約3~4倍の水準である。
イギリスの制度を参考に、売名目的の立候補者や泡沫候補を防ぐ目的で導入されたとされるが、社会主義政党の伸長を防ぐためとも言われる。
敗戦後、日本国憲法に変わり、1950年に公職選挙法が制定された後も供託金制度は残された。衆院選の選挙区における供託金の額は1950年で3万円、その後一貫して上がり続け、1969年に30万円、1992年に300万円となる。一方で1955年から1992年の消費者物価の伸びは約6倍だった。

世界的に見て高額な日本の供託金

会社員の平均年収が約400万円の現在、国政選挙(小選挙区)の供託金300万円というのは一般的には高いハードルと言えそうだが、諸外国はどうなっているのだろうか。
国立国会図書館の調査(2007年)では、主な外国の供託金及び没収点は以下の様になっている。

◆供託金あり(国名/金額(レートは2016年3月18日現在)/没収点等
  • イギリス(下院)/£500(約8万円)/小選挙区制で5%未満
  • カナダ/$1,000(約8万5千円)/原則として全額返還
  • 韓国/1500万ウオン(約150万円)/小選挙区制は10%未満で全額、10~15%未満で半額没収
◆供託金なし
アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアなど

主要国のうち供託金がそもそもない国があるほか、ある国でも日本よりもかなり金額が低く、没収点の条件も厳しくない国が多い。国際的には日本の選挙供託金はかなり特異な水準であるうえに、返却されにくいものであることが分かる。

供託金をめぐる議論

日本の選挙供託金制度をめぐっては、金額が高すぎるのではないか、憲法違反ではないか、といった疑問が投げかけられている。
疑問1:高額すぎるのではないか?
上記の様に、国際的に見ても日本の供託金は高額であり、金額を下げるべきという意見もある。しかし、金額を下げることで、売名目的の立候補者が増えるのではないか、という指摘がされている。
金額を下げる程度にもよるが、立候補への金銭的ハードルが下がるので、今よりも立候補者が増えることは十分予想される。だが、それが「問題のある程度まで」増えるという推測を裏付ける具体的な根拠は示されてはいないようである。日本よりも供託金が大幅に低い諸外国では、立候補者が多すぎることで供託金の引き上げには至っていないことから、金額を引き下げることが、すぐに有権者が立候補者を選びにくくなるような事態につながるとは考えにくい。
これに関連して、そもそも立候補者が売名目的かどうかを見分ける客観的な基準はなく、選挙活動を通じての立候補者の態度から、有権者それぞれが判断することになる。つまり立候補時点では売名目的かどうか分からない。結果として高額な供託金は立候補者の立候補目的を問わず、一律に資金力の乏しい立候補者(特に無所属・新人の立候補者)を排除しやすい制度となっている。

疑問2:そもそも憲法違反ではないか?
選挙供託金を巡っては、公務員の選挙を「国民固有の権利」と定める憲法第15条や、「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない」とする憲法第44条に違反しているとの批判があり、過去にいくつも裁判が起こされている。
判決はいずれも「供託金は違憲である」との訴えは退けられる形になっている。その理由は個別の訴えによって様々であるが、代表的なものとしては、憲法第47条で選挙の詳細は法律(公職選挙法)で定められることとなっており、国会で妥当と判断された内容であること、また供託金の方法やその金額も、合理的であると判断されている(平成8年神戸地裁、平成9年大阪高裁など)。

代替案はあるのか

選挙供託金は「売名目的の立候補や泡沫候補を抑制する」目的で設定されている。現在の供託金制度以外に、その目的を達成する方法は無いのだろうか。
既に行われている事例として、自民党や旧民主党の代表選で行われているように、立候補する際に一定の数の「推薦人」を事前に集めることを立候補の条件とする方法がある。政党内の選挙と一般の選挙では規模も対象も異なるが、選挙では数を集めなければ当選できないため、事前に推薦人を集めることは、一般の選挙でも原理的には供託金の代替方法として検討しうる。さらに、まじめに選挙活動を行う意思のある者に対しても立候補の足かせになりうる供託金よりも、妥当な方法であると言えるかもしれない。
また、一般に所得の低い若年層ほど、立候補に際しては供託金の金額の影響を受けやすいと考えられる。加えて、他の先進諸国と比較して、日本は若者や女性の議員数がかなり少ないことがかねてより指摘されている。そのような対策として、世代や性別で供託金に差をつける案も出ている。

上記のように論争が起きてきた供託金であるが、供託金を設定すること自体の是非の検討や、代替的な手法の導入にはまだ時間がかかると思われるが、金額の引き下げは政治の意思で比較的早く取り組むことができる方法として、議論の余地があるだろう。現に2008年には供託金の額を現在の半額にする案が自民党より出されているが、その際は廃案になっている。
供託金引き下げのインパクトは、相対的に所得の低い若年層で大きい。選挙権年齢が引き下げられることになったものの、若い世代の意見をより政治に反映するには、被選挙権の行使もしやすくする必要がある。その意味で、供託金引き下げは若い世代がより政治へ近づく道を開く一助となろう。

なお、冒頭の自民党青年局の提言では、『政治的に独立した「世代間公平委員会」の設置の検討を含め、給付と負担に関する「見える化」を更に推進する』など、世代間の不公平感に配慮した政策も打ち出している。供託金引き下げの提案と合わせ、政治の側も社会的公正・公平へとより踏み込んでいくという姿勢の変化の表れであるかもしれない。

2016年3月29日火曜日

明確な説明のないまま突き進む東京五輪「海の森水上競技場」(Platnews)


エンブレム問題、新国立競技場問題に揺れた2020年東京オリンピック・パラリンピック(以下東京五輪)。 ようやく前向きな気持ちで開催準備にまい進できると関係者はほっとしている頃かもしれないが(最近また聖火台が設置できない&汚職の疑いというニュースが入ってきたが…)、海のそばの五輪予定会場にはもう一つの「大波」が押し寄せている。東京五輪でボート・カヌー(スプリント)競技会場に予定されている「海の森水上競技場」がそれだ。

海の森水上競技場

海の森水上競技場は、東京湾のお台場の先に浮かぶ二つの人工の島(ごみと建設土砂の埋立地)の間の水路を利用して作られる。選手村から8㎞圏内にほとんどの競技施設を用意する、という東京五輪の理念に沿った会場として、新たに建設されるものだ。
1964年の東京五輪開催の際に建設され、その後一貫して関東圏のボートクラブに使用され続けている「戸田ボートコース」が埼玉県戸田市にあるが、現在の国際会場の規格には合わなくなっていることから、海の森水上競技場建設が浮上した。
この海の森水上競技場に、多くの批判が噴出している。
(Aー海の森水上競技場予定地、Bー選手村予定地、Cー彩湖、Dー戸田公園漕艇場)

7倍に膨れ上がる建設費

海の森水上競技場は、新規に建設される施設として、立候補時に本体工費69億円として計画された。しかし招致決定後、埋立地の軟弱な地盤に対応するための周辺工事や物価の高騰、橋の撤去費などを含め工費が1038億円と、立候補時から15倍に膨らんでしまう。あまりに高すぎるということで圧縮を検討した結果、2014年11月に491億円と見直された。それでも立候補時から7倍である。費用は全額東京都が負担する。
加えて、圧縮後の491億円には従前通り行われる、橋の架け替えが含まれていない。これは東京都環境局の事業に付け替えたためである。つまり、見かけ上工費が圧縮されているが、内実はそれほど変わっていないのである。
なぜこれほど工費がかかるのか。
第一に、自然条件に大きく左右されるボート、カヌーの両競技が行いやすいような環境を整備するために、新たに水門を作ったり、消波装置を導入したりする必要があること。また、競技用の設備(ボートやカヌーを収納する施設等)を整え、さらに観客席を新設したりする必要もある。ボートやカヌー競技は一般的に湖沼や川のうち、波や風の影響を受けにくい部分を区切って行われる。完全な海で同競技をオリンピック・パラリンピックで実施するのは史上初だと言う。

競技に適さない環境-風・波・潮・音

建設費にも関連するが、そもそもこの場所は会場の条件が競技に適さないという指摘がボート関係者(選手・クラブの監督など)や国際カヌー連盟から数多くなされている。
筆者は高校時代にボート部に所属していたが、波や風はボート競技の大敵だ。屋外競技は自然条件に左右されるのが常だが、ボートやカヌーは水上でバランスを取らなければ効率的に進めないため、特に風や波の影響を受けやすい。
bote
ボート競技の花形「エイト」

<風>
海の森水上競技場の場所は年間を通して風が強い。東京五輪が開催される7月~8月は最も強い風が吹く。その証拠にこの場所は風車(風力発電機)が立っているほどだ。
計画では、防風対策として高さ6.5mの防風林を競技場の一部側面(南側)に設置するとしている。しかし、仮に風の影響がシミュレーション通り弱まったとしても、レーンによって受ける風の強さが異なるという問題が残っている。というのも、この会場で夏場に吹くのは南風で、南寄りのレーンほど風の影響が少なく、北寄りほど大きくなる。東京都が示している「海の森水上競技場 基本設計」でも、レーンによって1.0m/s前後風速が違うことが読み取れる。どのレーンでレースに望むかによって、結果が大きく異なる可能性が高いのだ。
<波>
この会場は両岸が護岸になっており、波が反射し合って強くなるのでボートやカヌーの使用を難しくする。その対策として水門を設け、外部からの波が入らないようにすると同時に、消波装置も設置する。
風と波の問題は、対策は示されているが、実際に作ってみないと思った通りの効果が出るかどうか分からない。仮に思ったような防風・消波効果が出ない場合、追加で対策を行う必要が出、余計に費用がかさむことになる。
<潮>
海水は塩分によりボート・カヌーが浮き、漕ぎにくくなることが指摘されている。塩分がボートや器具に与える影響もあるだろう。この点に対する対策は残念ながら何も提示されていない。
<音>
この会場は羽田空港を利用する飛行機の航路直下になっており、78~82デシベルの騒音になる。これは騒がしい街中や地下鉄の車内と同じレベルであり、乾坤一擲の勝負に挑もうとしているアスリートが置かれる環境としてふさわしいのか疑問が呈されている。これについても対策は示されていない。
カヌー

カヌー「スプリント」

選手・クラブからも見放される五輪後の海の森水上競技場

恒久施設として建設される海の森水上競技場は、東京五輪後にどのように活用していくかが非常に重要になる。東京都の資料には以下の活用を見込んでいるとしている。
  • 国際・国内競技大会の会場
  •  ボート・カヌー等の競技力強化・指導者育成の拠点
  •  スポーツ教育・環境教育の場
  •  総合的なスポーツ利用
  •  都民のレジャー・レクリエーションの場
東京新聞の調査では、都内近郊で練習する大学や社会人のボートチームと、都カヌー協会に加盟するチームの8割が、五輪後に拠点を海の森に移すつもりはないと回答した。上述の不適当な自然条件に加え、最寄りの東京テレポート駅からバスが30分~60分に1本しか走っていないためだ。
また大会を開催するとの腹積もりだが、ボートやカヌーの大会が本当に海の森で開催されるのか、すべてはこれからである。国際大会であれば日本誘致の際に海の森を使用することは考えられるが、そのような機会がどの程度あるのか。また国内大会であれば、新しい大会を作らない限り、既存の会場から開催地を「奪う」格好になる。現在の開催地が許可を出すのは難しいのではないか。
維持費についての推計は発表されておらず、はっきりとしたことは分からないが、波を遮断するための水門の開閉、水位を調節するための揚排水機の作動など、通常のボート競技場よりもさらに維持費がかかることが見込まれる。

代替地として浮上する「埼玉県・彩湖」

では、他に五輪のボート・カヌー(スプリント)会場の適地はあるのだろうか。
戸田ボートコースを活動拠点とする大学等32団体で構成する「戸田ボートコース監督会」(以下監督会)では、代替地として戸田ボートコースのすぐそばにある「彩湖」を提案している。彩湖は荒川の水位調節のために作られた人口の湖である。
彩湖は風や波の心配は少なく、むろん淡水である。また、既に多くのボート・カヌークラブが拠点を置く戸田ボートコースの目と鼻の先というロケーションであり、東京五輪後も利用される可能性が高い。
一方で、彩湖にボートコースを作る場合、一部護岸を削る必要があり、監督会ではその工費などを47億円と見積もっている。
彩湖案には地元戸田市長も賛同し、2014年9月に正式に都に申し入れている。しかし、都及び五輪委員会は、「彩湖は、陸域の掘削を含めた大規模な整備が必要となるなど大きな課題があり、また、荒川の氾濫を防ぐための防災施設でもあるため、会場には適しません」としている。

ミスコミュニケーションが生む摩擦

2014年頃から海の森水上競技場の問題点は指摘されてきた。今にいたっても、肝心のアスリートや関係者から反対の声が止まない。都及び東京五輪委員会は、国際・国内競技連盟(IF・NF)双方から計画について評価頂いているとしている。だが、国際カヌー連盟と日本カヌー連盟は、現在の対策では不十分であるので、さらなる対策を求めるとしている。
上述のように、都や五輪組織委員会からは彩湖は不適当である旨の発表はなされている。しかし、述べられている理由が本当に解決不可能な課題なのか、具体的には表明されていない。当初の建設費を69億円としておきながら、実際には7倍の491億円に上振れすることが可能であるならば、彩湖で開催する場合の費用についてもっと踏み込んだ検討が示されるべきではないか(監督会は47億円としている)。また、ボート・カヌーの基本条件として、海上のレースは望ましくないということは気にされない一方、彩湖が防災用施設であるため開催は不適当というのであれば、具体的根拠が明示されるべきだ(戸田市長は彩湖で開催することを可としている)。
以下の図は、海の森水上競技場と新国立競技場をはじめとする各国のメインスタジアム施工費、代替案としてして出されている彩湖、そして国際大会可能な国内ボートコースの施工費をまとめたものだ。求められている設備や国の事情、また建設年代が違うので一概に比較はできないが、今回の海の森水上競技場の施工費がいかに高額なものであるかお分かりいただけると思う。

そのような「なぜ海の森水上競技場でなければならないか、なぜ他の施設は不適当か」という丁寧な説明が欠けているため、今に至るまで競技関係者やメディアを巻き込んで多くの反対意見が出されているのではないか。
新国立競技場の問題を受け、東京都が昨年10月に開催した「都立競技施設整備に関する諮問会議」では、海の森水上競技場を含む3会場の基本設計に問題がないか検討された。ここでは委員にボート・カヌー関係者は含まれず、建築物やスポーツ大会としての課題がわずか1時間30分議論されただけにとどまり、「基本設計に問題はない」との結論が下された。
このまま建設を強行した時、2020年にボートやカヌー関係者から東京はどのような評価を受けるのか。また都民の負担はいかばかりになるのか。はなはだ不安である。

都は早急に後利用の具体的なシミュレーションを

また競技上の課題はコストをかけることによってある程度改善されるかもしれないが、その費用は税金で負担し、その後の維持管理コストもかかる。
現在出されている後利用の計画は、「こうしたい」という願望を並べているだけのように思われる。それがどの程度現実的であるのか、都は具体的な後利用のシミュレーションを公表すべきだ。そもそも海のコースである以上、設備を整備したとしても、既存のボート・カヌークラブで日常的に海の森水上競技場を利用する団体はほとんどないのではないか。また、国内・国際大会も既存の国内施設を利用されるのではないだろうか。
東京五輪開催の際には一時的に送迎バス等を出せばよいが、その後も多くの利用客を得るためには公共交通機関の整備や飲食店も必須だろう。その費用はどうするのか。
当該海域の水質は泳いでも問題ないレベルとされているが、それは平均値の話で、夏場には赤潮も発生する。水辺の施設としての利用方法も限定的にならざるを得ない。

「引き返す勇気」を

東京五輪で使用される37会場のうち、東京都外は11会場、さらに関東圏外は4会場あり、サッカースタジアムの二つは宮城と北海道だ。国際規格に適合するボートコースは宮城県、岐阜県、広島県にある。五輪招致の段階では「選手村から8㎞圏内」へのこだわりから海の森水上競技場の提案となったが、大幅な工費の増額が明らかになり、かつ自然条件に対する不安が尽きないことを踏まえれば、改めて日本全体でボート・カヌー(スプリント)競技会場を検討すべき時に来ているのではないか。

2016年3月27日日曜日

「日教組」とは何か(Platnews)


2012年12月の総選挙。自民党の政権公約に、経済に次いで取り上げられたテーマは「教育」だった。この時の自民党のキャッチフレーズは「日本を、取り戻す」。民主党政権時代に失った「あるべき日本の姿」を取り戻す。そんな強い決意がうかがえる。教育分野で民主党を支えるのは「日本教職員組合」=通称「日教組」。この時一部の自民党支持者からは、「日教組から教育を取り戻す」という声も聞こえた。
ではそのように目の敵にされる日教組とは何なのか。設立から振り返ってみる。

日教組発足

戦後間もない1946年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向を受けた文部省は、教員への手引書として「新教育指針」を発表する。
そこでは、「教員組合の健全な発達もまた教師の民主的な生活及び修養のために大切なことである」と述べ、教師の生活の安定、教養の向上、政治介入への対抗策等として、教員組合を奨励している。文部科学省と日教組は激しく対立してきたが、そもそもはGHQや文部省の後押しがあって発足したことが伺える。
教員組合への加入者数は、戦後の約2年で50万人強へと爆発的に増えた。そして戦後生まれた3つの教職員組合が合併し、1947年「日本教職員組合」が誕生した。
日教組の主たる目的は、
  • 教育の民主化
  • 研究の自由を獲得すること
  • 平和と自由とを愛する民主国家の建設のため団結すること
  • そのために経済的・社会的・政治的地位を確立すること
と謳われている。教育に関する条件整備のための研究・政策提言にとどまらず、政治的な運動も多く行っている。

母体と思想的背景

発足当初、日本共産党を支持するグループが日教組の主流派を占めたが、規模が大きくなるにつれ共産党系は非主流派となり、日本社会党を支持する勢力が主流派となる(ただしこの中でも右派・左派に分かれている)。社会主義および共産主義を思想の底流に持つ日教組は、戦前の国家による思想教育に対する反省ともあいまって、「教育の民主化(国家的統制の拒否)」を活動の重要な柱のひとつに掲げる。
そのため、1956年には当時住民の公選制であった教育委員会が、首長による任命制へ移行されるという政策に強く反対した。また、国家統制の象徴であるとして学校での国旗掲揚・国歌斉唱に反対してきた(現在はそのような主張はしていない)。
また、教育における子どもの競争や教師の評価を拒否し、子どもや教師の序列付けを激しく拒んできた。昭和30年代(1955~1964年)には教師の勤務評定の実施阻止、全国統一学力テストの反対などを行う。これらの反対運動は地域社会も巻き込み、大規模におこなわれた。勤務評定反対運動では、公務員には禁止されているストライキを大々的に行い、約6万人の組合員が何らかの処分を受けている。
社会主義との親和性の高さは、幹部による北朝鮮への密接な関わりにも表れている。計30年にわたり日教組の中央役員を務め、「ミスター日教組」と呼ばれた槙枝元文(2010年死去)は北朝鮮を礼賛し、最も尊敬する人物に金日成を挙げている。また、北朝鮮の指導思想であるチュチェ(主体)思想を学ぶ「日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会」は、日教組関係者が歴代会長を務めている。
平和運動等にも積極的に関与し、政治的メッセージを発信するほか、デモ活動でも盛んに各都道府県教組から人員を派遣している。昨年夏以降に発表された「声明・談話」で、教育とは直接関連のないテーマのものには、
  • 関電高浜原発3号機の再稼働に抗議する書記長談話
  • 朝鮮民主主義人民共和国の水爆実験に抗議する書記長談話
  • 日印原子力協定の「原則合意」に関する書記長談話
  • 沖縄辺野古新基地建設に関する本体工事着手強行に抗議する書記長談話
  • 「安全保障関連法」に断固反対し、日本国憲法の理念を取り戻す書記長談話
などがある。

日教組バッシング

日教組への批判は数多いが、上記以外では主なものとして以下が挙げられる。
  • 教育活動よりも、各種集会への動員、選挙活動など組合から指示される仕事に熱心な組合員がいる。
  • 教育基本法等で教職員の政治活動は禁止されているが、それを無視して選挙運動を行っている。北海道教職員組合では、約1600万円の裏金を民主党候補者に渡した。
  • 組織率の高い都道府県では、組合役員を経験することが管理職や教育委員会への登用など出世のための定番コースとなっており、御用組合となっている。
  • ゆとり教育を推進。日本の子どもの学力を下げた。
  • 自虐史観の歴史教育や行き過ぎた性教育を推進。そのための不適切な副教材の作成と使用を行っている。
  • いじめの増加や子どもが荒れる原因を作っている。
このような指摘のうち、事実に即したものもあるが、「ゆとり教育が学力低下を招いた」や「いじめの増加や子どもが荒れる原因を作った」などは客観的根拠に乏しい。
経済協力開発機構(OECD)が3年ごとに実施している「生徒の学習到達度調査」(PISA)の結果が、「ゆとり教育」導入後の2003年に実施された調査で前年までと比較して大幅に下落。そのためゆとり教育との関連が盛んに叫ばれたが、調査時点ではゆとり教育が始まって1年しか経っていないことや、その後のPISA順位の向上(2009年、2012年)もゆとり教育を実施している間であったりと、ゆとり教育がスコアにどのような影響を及ぼしたのか、不明瞭である。
またいじめの増加等についても、重大事件が起きるとそれに呼応して調査が行われ、認知件数が一気に増えることが大きく影響している。増加を客観的に裏付ける統計に乏しく、また日教組教育が原因であるという因果関係も明確ではない。

組織の変遷

日教組の加入率(全教職員数に対して日教組へ加入した割合)は文部省が統計を取り始めた1958年には86.3%と、非常に高い割合を示した(図)。全国の公立小学校、中学校、高校の教職員のほとんどが加入していたことになる。その後一貫して加入率は落ちているが、昭和30年代と1988年に特に大きく下落している。昭和30年代の落ち込みは、上述したような様々な反対運動を大規模に行った結果、社会的信用を失ったことが主な原因とされる。

(文部科学省「平成26年度 教職員団体への加入状況に関する調査結果について」より筆者作成)
また、1988年の下落は、労働組合全体の再編の中で、日本社会党を主として支持する「日本労働組合総連合会」(連合)へ日教組が加盟すると決定したことで、共産党系組合員が分裂し、「全日本教職員組合」(全教)を組織したことによる。
この他にも、日教組は小中学校の教職員が中心となっていることによる反発から、高校や大学の教職員が離反して別の教職員組合を作るなどの分裂も経験している。
なお、2014年時点で教職員組合全体の加入率は約37%であり、その3分の2を日教組が占める。

政界とのつながり

日教組は伝統的に日本社会党を支持してきた。現在は社民党と民主党を支持政党とし、「日本民主教育政治連盟」(日政連)という政治団体を持つ。現在日政連には衆議院議員1名、参議院議員5名、自治体議会では約200人の議員が所属しており、所属国会議員は全員民主党である。
横路孝弘(民主党/衆議院/北海道第1区)、輿石東(民主党/参議院/山梨県選挙区)、水岡俊一(民主党/参議院/兵庫県選挙区)、神本美恵子(民主党/参議院/比例区)、斎藤嘉隆(民主党/参議院/愛知県選挙区)、那谷屋正義(民主党/参議院/比例区)

日教組のこれから

1990年頃から新規採用教職員の加入率が20%前後を推移していることから、このトレンドが変わらなければ全体の加入率も近いうちに20%前後で落ち着くと考えられる。一部の保守論者からは「日教組は日本のガンである」などと言われているが、加入率の低迷、そして支持政党の民主党や社民党の低落傾向を考えると、日教組がそのような影響力を持っているとは考えにくい。
日教組が加入率を回復し、より健全に教育界の発展に貢献するには、自らの政治的中立性を推し進め、教育活動以外の運動に組合員が割く時間を減らすとともに、偏向教育と批判されてきたこれまでのイメージを払しょくすることが必要だ。そして労働組合本来の機能である、教職員の労働環境健全化に今よりも注力するとともに、多様な意見を取り入れた、客観的分析を基にした今後の教育のあり方の提言と実践が求められているのではないだろうか。

Platnews執筆記事より転載