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2016年4月5日火曜日

「自虐史観」とは何か? (Platnews)

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この4月から大きく変わった歴史教科書

2014年に告示された新しい教科書検定基準に則り、この4月から中学校で使用される歴史教科書が大きく変わった。これまで許容されていた表現に対して検定で修正を求められたのは64件、歴史の検定意見の20%を占める。新検定基準では、
  • 政府の統一見解や確定した判例がある場合は、それに基づいた記述がされていること
  • 近現代の歴史的な事柄のうち、学術的な通説が定まっていない場合はその旨を明記し、生徒が誤解しないようにすること
などが求められる。また、審査要項として、
  • 愛国心などを盛り込んだ教育基本法の目標に照らして重大な欠陥があると判断された場合、不合格にすること
という項目が盛り込まれた。

この変化の背景にあるもののひとつとして挙げられるのは、これまでの歴史観を「自虐史観」として否定する考え方だ。それでは、自虐史観とはどのようなものなのだろうか。

90年代から急速に盛り上がる「自虐史観」批判

主に明治から昭和初期の日本の歴史(近代史)に関して、戦前・戦中の日本の行いは一方的に悪かったとする史観を、「自虐的である」として、そのようには捉えない側が呼ぶ名称。いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」の存在および程度に関して通説に対する疑義が呈される中で、従軍慰安婦の強制性を認める河野官房長官談話(1992年)や、帝国主義時代の日本の行いを謝罪した村山総理大臣談話(1995年)が発表された。これらを契機として、日本の歴史の捉え方を見直すべきだという運動が保守層を中心に盛り上がる。

歴史教科書では、三省堂の高校日本史教科書執筆者である家永三郎による教科書検定に関する裁判や、中国、韓国からの批判を受け、1980年代中ごろより歴史教科書は戦前の日本の行いを克明に記す方向に変化する。高校は1994年から、中学は1997年からすべての教科書に「従軍慰安婦」に関する記述が盛り込まれた。このような動きに反発した保守層は、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)を1996年に結成。

自虐史観の特徴

自虐史観と批判する側の指摘は、主に以下の3点に大別される。

  • 歴史的事実の歪曲
いくつかの歴史的事件では、様々な議論があり定説が定まっていないにも関わらず、中国・韓国や一部研究者の主張を一方的に採用し、歴史的事実であるかのように扱われている。
  • バランスの悪い歴史観
その時代の世界情勢や日本の置かれた状況を無視して、現代の感覚で過去を説明しようとしている。また日本の過去の行いは徹底的に批判する一方で、他国の類似またはもっとひどい行いについては言及せず、日本だけが悪行を行っていたかのような書きぶりである。
  • 国や教育に対する姿勢
教育を通じて愛国心を涵養し、子どもたちに自国に対する自信をつけさせることが大切であるのに、教育を通じて自国に対する自信を喪失させる内容ばかり取り上げている。

見直される事実関係

これまでの通説で歴史的事実の認識に誤りがある指摘されているのは、例として以下のことが挙げられる。

  • 南京大虐殺(南京事件)
1937年に日本軍が南京を攻めた際、中国側の発表では30万人以上もの中国軍人・民間人が虐殺されたとされてきた。しかし、中国側が発表する数字の証拠は信憑性が乏しく、各種の推定によって、虐殺された人数は30万人よりも相当少ない(2万人~20万人など)と考えられる。そもそも虐殺の存在自体に疑問を投げかける論者もおり、「大虐殺」と言い切ることは不適当であるとしている。
  • 従軍慰安婦
これまで日本軍が朝鮮、中国、その他支配地の女性数万人~数十万人を強制的に従軍させ、性的な奴隷状態としていたとされてきた。しかし、日本軍の関与する「慰安所」で働く「慰安婦」はいたが、当時は合法であった娼婦と同じで、職業としての売春であり、日本の調査では強制性を示す直接的根拠は見つけられなかった。朝日新聞などマスメディアの誤報も問題の拡大に拍車をかけた。
  • 東京裁判
極東国際軍事裁判(東京裁判)によって日本軍が戦時中に犯した数々の罪は断罪された。しかし、東京裁判は連合国による一方的な裁きであり、裁判と言えるようなものではない。それにもかかわらず、東京裁判の結果をもって日本の非を一方的に認めようとする傾向が日本社会にある。また、米軍による日本の都市への無差別爆撃や原爆投下など、連合国軍側にも指弾されるべき行いはあるにもかかわらず、日本の行為だけが一方的に裁かれていることは不公平である。

戦後歴史観を構成する要素

戦後の歴史観の形成には、以下のような要素が関わってきた。

戦後直後、連合国軍占領下の日本では「プレスコード」と呼ばれる報道規制が敷かれていた。30項目からなるこの報道規制では、連合国や極東国際軍事裁判(東京裁判)などを批判することが禁じられ、出版物は検閲を受けた。1952年のサンフランシスコ講和条約発効によりプレスコードも失効したが、自虐史観を批判する側は、プレスコードの内容は依然として日本のメディアや教育界、歴史学会に根付いているとする。

また、戦後教育において、日本教職員組合(日教組)を中心として著しく近代日本を貶める教育が行われたとの批判がある。教職員組合の歴史を紐解けば、戦時中、教師が教え子を積極的に戦場へ送り出した経験から、それに対する反省として平和教育を特に推進してきた。一方で、組合の主な組織基盤が旧社会党や共産党など、帝国主義的体制や思想に強く反対する組織が主であったため、帝国主義時代の日本を全否定する側面もあったと思われる。

一部マスメディアについても、自虐史観批判者の言う「自虐的」な内容(時に事実と違う内容も含め)多く発信してきたことから、「偏向報道」「反日」と言われ、自虐史観形成の一翼を担ってきたと批判されている。マスメディアは戦前・戦中に政府のお先棒担ぎとなり、戦争へ踏み込む大きな原動力となったとの反省から、体制に批判的に、そして特に戦争に関しては抑制的に報道するようになった側面がある。一方で、検証が不十分なまま情報を垂れ流す傾向は、戦後教育によってできあがったある種の「自虐的雰囲気」に乗っているだけとも言える。

自虐史観がもたらすとされる「国益」損失

自虐史観を批判する側によれば、自虐史観は大きな問題点をはらむ。自虐史観に基づいた日本の世論と、従軍慰安婦などメディアの誤報による誤った事実認識は謝罪外交を正当化させ、それに便乗する形で中韓は海外で「旧日本軍の残虐性」を過度にアピールする運動を展開。このことによって日本はイメージを大きく傷つけられ、国益を大きく損なったと指摘する。この「国益の損失」を取り返すため、「歴史認識に関する情報戦」を(特に中韓や、朝日新聞など彼らが左翼偏向的とするメディアと)戦わなければならないとし、「歴史戦」と題する著作(阿比留瑠比著)や同タイトルの産経新聞での連載がある。

批判の応酬ではなく建設的な議論を

昨年、日本は戦後の防衛・安全保障体制を大きく変える決断を行った。今後の日本の進む進路を考える上でも、太平洋戦争までの日本をどのように捉えるかは極めて重要だ。

そうした中で、日本は善か悪か、自虐かそうでないか、という二元論に陥らず、事実認識をより充実させ、ひとつずつ社会のコンセンサスを積み上げていくことがまず必要不可欠だろう。
そして、憲法改正の議論が盛んになってきた今、何を私たちは戦前・戦時中の歴史から読み取り、これからの社会づくりに生かしていくかを考えていくことが、日本の大きな課題となるのではないだろうか。

2016年3月27日日曜日

「日教組」とは何か(Platnews)


2012年12月の総選挙。自民党の政権公約に、経済に次いで取り上げられたテーマは「教育」だった。この時の自民党のキャッチフレーズは「日本を、取り戻す」。民主党政権時代に失った「あるべき日本の姿」を取り戻す。そんな強い決意がうかがえる。教育分野で民主党を支えるのは「日本教職員組合」=通称「日教組」。この時一部の自民党支持者からは、「日教組から教育を取り戻す」という声も聞こえた。
ではそのように目の敵にされる日教組とは何なのか。設立から振り返ってみる。

日教組発足

戦後間もない1946年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向を受けた文部省は、教員への手引書として「新教育指針」を発表する。
そこでは、「教員組合の健全な発達もまた教師の民主的な生活及び修養のために大切なことである」と述べ、教師の生活の安定、教養の向上、政治介入への対抗策等として、教員組合を奨励している。文部科学省と日教組は激しく対立してきたが、そもそもはGHQや文部省の後押しがあって発足したことが伺える。
教員組合への加入者数は、戦後の約2年で50万人強へと爆発的に増えた。そして戦後生まれた3つの教職員組合が合併し、1947年「日本教職員組合」が誕生した。
日教組の主たる目的は、
  • 教育の民主化
  • 研究の自由を獲得すること
  • 平和と自由とを愛する民主国家の建設のため団結すること
  • そのために経済的・社会的・政治的地位を確立すること
と謳われている。教育に関する条件整備のための研究・政策提言にとどまらず、政治的な運動も多く行っている。

母体と思想的背景

発足当初、日本共産党を支持するグループが日教組の主流派を占めたが、規模が大きくなるにつれ共産党系は非主流派となり、日本社会党を支持する勢力が主流派となる(ただしこの中でも右派・左派に分かれている)。社会主義および共産主義を思想の底流に持つ日教組は、戦前の国家による思想教育に対する反省ともあいまって、「教育の民主化(国家的統制の拒否)」を活動の重要な柱のひとつに掲げる。
そのため、1956年には当時住民の公選制であった教育委員会が、首長による任命制へ移行されるという政策に強く反対した。また、国家統制の象徴であるとして学校での国旗掲揚・国歌斉唱に反対してきた(現在はそのような主張はしていない)。
また、教育における子どもの競争や教師の評価を拒否し、子どもや教師の序列付けを激しく拒んできた。昭和30年代(1955~1964年)には教師の勤務評定の実施阻止、全国統一学力テストの反対などを行う。これらの反対運動は地域社会も巻き込み、大規模におこなわれた。勤務評定反対運動では、公務員には禁止されているストライキを大々的に行い、約6万人の組合員が何らかの処分を受けている。
社会主義との親和性の高さは、幹部による北朝鮮への密接な関わりにも表れている。計30年にわたり日教組の中央役員を務め、「ミスター日教組」と呼ばれた槙枝元文(2010年死去)は北朝鮮を礼賛し、最も尊敬する人物に金日成を挙げている。また、北朝鮮の指導思想であるチュチェ(主体)思想を学ぶ「日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会」は、日教組関係者が歴代会長を務めている。
平和運動等にも積極的に関与し、政治的メッセージを発信するほか、デモ活動でも盛んに各都道府県教組から人員を派遣している。昨年夏以降に発表された「声明・談話」で、教育とは直接関連のないテーマのものには、
  • 関電高浜原発3号機の再稼働に抗議する書記長談話
  • 朝鮮民主主義人民共和国の水爆実験に抗議する書記長談話
  • 日印原子力協定の「原則合意」に関する書記長談話
  • 沖縄辺野古新基地建設に関する本体工事着手強行に抗議する書記長談話
  • 「安全保障関連法」に断固反対し、日本国憲法の理念を取り戻す書記長談話
などがある。

日教組バッシング

日教組への批判は数多いが、上記以外では主なものとして以下が挙げられる。
  • 教育活動よりも、各種集会への動員、選挙活動など組合から指示される仕事に熱心な組合員がいる。
  • 教育基本法等で教職員の政治活動は禁止されているが、それを無視して選挙運動を行っている。北海道教職員組合では、約1600万円の裏金を民主党候補者に渡した。
  • 組織率の高い都道府県では、組合役員を経験することが管理職や教育委員会への登用など出世のための定番コースとなっており、御用組合となっている。
  • ゆとり教育を推進。日本の子どもの学力を下げた。
  • 自虐史観の歴史教育や行き過ぎた性教育を推進。そのための不適切な副教材の作成と使用を行っている。
  • いじめの増加や子どもが荒れる原因を作っている。
このような指摘のうち、事実に即したものもあるが、「ゆとり教育が学力低下を招いた」や「いじめの増加や子どもが荒れる原因を作った」などは客観的根拠に乏しい。
経済協力開発機構(OECD)が3年ごとに実施している「生徒の学習到達度調査」(PISA)の結果が、「ゆとり教育」導入後の2003年に実施された調査で前年までと比較して大幅に下落。そのためゆとり教育との関連が盛んに叫ばれたが、調査時点ではゆとり教育が始まって1年しか経っていないことや、その後のPISA順位の向上(2009年、2012年)もゆとり教育を実施している間であったりと、ゆとり教育がスコアにどのような影響を及ぼしたのか、不明瞭である。
またいじめの増加等についても、重大事件が起きるとそれに呼応して調査が行われ、認知件数が一気に増えることが大きく影響している。増加を客観的に裏付ける統計に乏しく、また日教組教育が原因であるという因果関係も明確ではない。

組織の変遷

日教組の加入率(全教職員数に対して日教組へ加入した割合)は文部省が統計を取り始めた1958年には86.3%と、非常に高い割合を示した(図)。全国の公立小学校、中学校、高校の教職員のほとんどが加入していたことになる。その後一貫して加入率は落ちているが、昭和30年代と1988年に特に大きく下落している。昭和30年代の落ち込みは、上述したような様々な反対運動を大規模に行った結果、社会的信用を失ったことが主な原因とされる。

(文部科学省「平成26年度 教職員団体への加入状況に関する調査結果について」より筆者作成)
また、1988年の下落は、労働組合全体の再編の中で、日本社会党を主として支持する「日本労働組合総連合会」(連合)へ日教組が加盟すると決定したことで、共産党系組合員が分裂し、「全日本教職員組合」(全教)を組織したことによる。
この他にも、日教組は小中学校の教職員が中心となっていることによる反発から、高校や大学の教職員が離反して別の教職員組合を作るなどの分裂も経験している。
なお、2014年時点で教職員組合全体の加入率は約37%であり、その3分の2を日教組が占める。

政界とのつながり

日教組は伝統的に日本社会党を支持してきた。現在は社民党と民主党を支持政党とし、「日本民主教育政治連盟」(日政連)という政治団体を持つ。現在日政連には衆議院議員1名、参議院議員5名、自治体議会では約200人の議員が所属しており、所属国会議員は全員民主党である。
横路孝弘(民主党/衆議院/北海道第1区)、輿石東(民主党/参議院/山梨県選挙区)、水岡俊一(民主党/参議院/兵庫県選挙区)、神本美恵子(民主党/参議院/比例区)、斎藤嘉隆(民主党/参議院/愛知県選挙区)、那谷屋正義(民主党/参議院/比例区)

日教組のこれから

1990年頃から新規採用教職員の加入率が20%前後を推移していることから、このトレンドが変わらなければ全体の加入率も近いうちに20%前後で落ち着くと考えられる。一部の保守論者からは「日教組は日本のガンである」などと言われているが、加入率の低迷、そして支持政党の民主党や社民党の低落傾向を考えると、日教組がそのような影響力を持っているとは考えにくい。
日教組が加入率を回復し、より健全に教育界の発展に貢献するには、自らの政治的中立性を推し進め、教育活動以外の運動に組合員が割く時間を減らすとともに、偏向教育と批判されてきたこれまでのイメージを払しょくすることが必要だ。そして労働組合本来の機能である、教職員の労働環境健全化に今よりも注力するとともに、多様な意見を取り入れた、客観的分析を基にした今後の教育のあり方の提言と実践が求められているのではないだろうか。

Platnews執筆記事より転載