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2016年3月31日木曜日

自民党供託金の減額検討、現状の供託金は適正か?(Platnews)


自民党青年局が党に対して行った提言が、3月12日発表された。「社会保障」「教育」「若い世代の政治参加」の3本の柱の中で、「若い世代の政治参加」では被選挙年齢の引き下げや投票をしやすくする仕組みに加え、「国政選挙における供託金の引き下げ」も提言されている。
また、20日には、参院選公約に「被選挙権年齢引き下げの検討」、「供託金の減額検討」を掲げる方向だと党幹部が明らかにした。
国政選挙や知事選挙の際にたびたび話題に出される供託金とは、どのようなものだろうか。

供託金とは

選挙における供託金とは、立候補時に法務省などの「供託所」に定められた金額を預ける(供託)お金のことであり、公職選挙法92条・93条で定められている。一定の票数を獲得することができれば返却されるが、そうでない場合や立候補を途中で取りやめた場合は没収される。
日本の各種選挙における供託金の金額とその没収点は表のとおりである。
公職選挙法より筆者作成

なぜ供託金制度があるのか

1925年の普通選挙法の施行により納税要件が撤廃され、満25歳以上の日本国籍を持つ男子全てに選挙権が与えられるようになった。その一方で供託金制度が導入され、立候補時に国政選挙で2千円を収めることが義務付けられた。当時の東京の公立小学校教員の年収の約3~4倍の水準である。
イギリスの制度を参考に、売名目的の立候補者や泡沫候補を防ぐ目的で導入されたとされるが、社会主義政党の伸長を防ぐためとも言われる。
敗戦後、日本国憲法に変わり、1950年に公職選挙法が制定された後も供託金制度は残された。衆院選の選挙区における供託金の額は1950年で3万円、その後一貫して上がり続け、1969年に30万円、1992年に300万円となる。一方で1955年から1992年の消費者物価の伸びは約6倍だった。

世界的に見て高額な日本の供託金

会社員の平均年収が約400万円の現在、国政選挙(小選挙区)の供託金300万円というのは一般的には高いハードルと言えそうだが、諸外国はどうなっているのだろうか。
国立国会図書館の調査(2007年)では、主な外国の供託金及び没収点は以下の様になっている。

◆供託金あり(国名/金額(レートは2016年3月18日現在)/没収点等
  • イギリス(下院)/£500(約8万円)/小選挙区制で5%未満
  • カナダ/$1,000(約8万5千円)/原則として全額返還
  • 韓国/1500万ウオン(約150万円)/小選挙区制は10%未満で全額、10~15%未満で半額没収
◆供託金なし
アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアなど

主要国のうち供託金がそもそもない国があるほか、ある国でも日本よりもかなり金額が低く、没収点の条件も厳しくない国が多い。国際的には日本の選挙供託金はかなり特異な水準であるうえに、返却されにくいものであることが分かる。

供託金をめぐる議論

日本の選挙供託金制度をめぐっては、金額が高すぎるのではないか、憲法違反ではないか、といった疑問が投げかけられている。
疑問1:高額すぎるのではないか?
上記の様に、国際的に見ても日本の供託金は高額であり、金額を下げるべきという意見もある。しかし、金額を下げることで、売名目的の立候補者が増えるのではないか、という指摘がされている。
金額を下げる程度にもよるが、立候補への金銭的ハードルが下がるので、今よりも立候補者が増えることは十分予想される。だが、それが「問題のある程度まで」増えるという推測を裏付ける具体的な根拠は示されてはいないようである。日本よりも供託金が大幅に低い諸外国では、立候補者が多すぎることで供託金の引き上げには至っていないことから、金額を引き下げることが、すぐに有権者が立候補者を選びにくくなるような事態につながるとは考えにくい。
これに関連して、そもそも立候補者が売名目的かどうかを見分ける客観的な基準はなく、選挙活動を通じての立候補者の態度から、有権者それぞれが判断することになる。つまり立候補時点では売名目的かどうか分からない。結果として高額な供託金は立候補者の立候補目的を問わず、一律に資金力の乏しい立候補者(特に無所属・新人の立候補者)を排除しやすい制度となっている。

疑問2:そもそも憲法違反ではないか?
選挙供託金を巡っては、公務員の選挙を「国民固有の権利」と定める憲法第15条や、「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない」とする憲法第44条に違反しているとの批判があり、過去にいくつも裁判が起こされている。
判決はいずれも「供託金は違憲である」との訴えは退けられる形になっている。その理由は個別の訴えによって様々であるが、代表的なものとしては、憲法第47条で選挙の詳細は法律(公職選挙法)で定められることとなっており、国会で妥当と判断された内容であること、また供託金の方法やその金額も、合理的であると判断されている(平成8年神戸地裁、平成9年大阪高裁など)。

代替案はあるのか

選挙供託金は「売名目的の立候補や泡沫候補を抑制する」目的で設定されている。現在の供託金制度以外に、その目的を達成する方法は無いのだろうか。
既に行われている事例として、自民党や旧民主党の代表選で行われているように、立候補する際に一定の数の「推薦人」を事前に集めることを立候補の条件とする方法がある。政党内の選挙と一般の選挙では規模も対象も異なるが、選挙では数を集めなければ当選できないため、事前に推薦人を集めることは、一般の選挙でも原理的には供託金の代替方法として検討しうる。さらに、まじめに選挙活動を行う意思のある者に対しても立候補の足かせになりうる供託金よりも、妥当な方法であると言えるかもしれない。
また、一般に所得の低い若年層ほど、立候補に際しては供託金の金額の影響を受けやすいと考えられる。加えて、他の先進諸国と比較して、日本は若者や女性の議員数がかなり少ないことがかねてより指摘されている。そのような対策として、世代や性別で供託金に差をつける案も出ている。

上記のように論争が起きてきた供託金であるが、供託金を設定すること自体の是非の検討や、代替的な手法の導入にはまだ時間がかかると思われるが、金額の引き下げは政治の意思で比較的早く取り組むことができる方法として、議論の余地があるだろう。現に2008年には供託金の額を現在の半額にする案が自民党より出されているが、その際は廃案になっている。
供託金引き下げのインパクトは、相対的に所得の低い若年層で大きい。選挙権年齢が引き下げられることになったものの、若い世代の意見をより政治に反映するには、被選挙権の行使もしやすくする必要がある。その意味で、供託金引き下げは若い世代がより政治へ近づく道を開く一助となろう。

なお、冒頭の自民党青年局の提言では、『政治的に独立した「世代間公平委員会」の設置の検討を含め、給付と負担に関する「見える化」を更に推進する』など、世代間の不公平感に配慮した政策も打ち出している。供託金引き下げの提案と合わせ、政治の側も社会的公正・公平へとより踏み込んでいくという姿勢の変化の表れであるかもしれない。

2016年3月27日日曜日

「日教組」とは何か(Platnews)


2012年12月の総選挙。自民党の政権公約に、経済に次いで取り上げられたテーマは「教育」だった。この時の自民党のキャッチフレーズは「日本を、取り戻す」。民主党政権時代に失った「あるべき日本の姿」を取り戻す。そんな強い決意がうかがえる。教育分野で民主党を支えるのは「日本教職員組合」=通称「日教組」。この時一部の自民党支持者からは、「日教組から教育を取り戻す」という声も聞こえた。
ではそのように目の敵にされる日教組とは何なのか。設立から振り返ってみる。

日教組発足

戦後間もない1946年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向を受けた文部省は、教員への手引書として「新教育指針」を発表する。
そこでは、「教員組合の健全な発達もまた教師の民主的な生活及び修養のために大切なことである」と述べ、教師の生活の安定、教養の向上、政治介入への対抗策等として、教員組合を奨励している。文部科学省と日教組は激しく対立してきたが、そもそもはGHQや文部省の後押しがあって発足したことが伺える。
教員組合への加入者数は、戦後の約2年で50万人強へと爆発的に増えた。そして戦後生まれた3つの教職員組合が合併し、1947年「日本教職員組合」が誕生した。
日教組の主たる目的は、
  • 教育の民主化
  • 研究の自由を獲得すること
  • 平和と自由とを愛する民主国家の建設のため団結すること
  • そのために経済的・社会的・政治的地位を確立すること
と謳われている。教育に関する条件整備のための研究・政策提言にとどまらず、政治的な運動も多く行っている。

母体と思想的背景

発足当初、日本共産党を支持するグループが日教組の主流派を占めたが、規模が大きくなるにつれ共産党系は非主流派となり、日本社会党を支持する勢力が主流派となる(ただしこの中でも右派・左派に分かれている)。社会主義および共産主義を思想の底流に持つ日教組は、戦前の国家による思想教育に対する反省ともあいまって、「教育の民主化(国家的統制の拒否)」を活動の重要な柱のひとつに掲げる。
そのため、1956年には当時住民の公選制であった教育委員会が、首長による任命制へ移行されるという政策に強く反対した。また、国家統制の象徴であるとして学校での国旗掲揚・国歌斉唱に反対してきた(現在はそのような主張はしていない)。
また、教育における子どもの競争や教師の評価を拒否し、子どもや教師の序列付けを激しく拒んできた。昭和30年代(1955~1964年)には教師の勤務評定の実施阻止、全国統一学力テストの反対などを行う。これらの反対運動は地域社会も巻き込み、大規模におこなわれた。勤務評定反対運動では、公務員には禁止されているストライキを大々的に行い、約6万人の組合員が何らかの処分を受けている。
社会主義との親和性の高さは、幹部による北朝鮮への密接な関わりにも表れている。計30年にわたり日教組の中央役員を務め、「ミスター日教組」と呼ばれた槙枝元文(2010年死去)は北朝鮮を礼賛し、最も尊敬する人物に金日成を挙げている。また、北朝鮮の指導思想であるチュチェ(主体)思想を学ぶ「日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会」は、日教組関係者が歴代会長を務めている。
平和運動等にも積極的に関与し、政治的メッセージを発信するほか、デモ活動でも盛んに各都道府県教組から人員を派遣している。昨年夏以降に発表された「声明・談話」で、教育とは直接関連のないテーマのものには、
  • 関電高浜原発3号機の再稼働に抗議する書記長談話
  • 朝鮮民主主義人民共和国の水爆実験に抗議する書記長談話
  • 日印原子力協定の「原則合意」に関する書記長談話
  • 沖縄辺野古新基地建設に関する本体工事着手強行に抗議する書記長談話
  • 「安全保障関連法」に断固反対し、日本国憲法の理念を取り戻す書記長談話
などがある。

日教組バッシング

日教組への批判は数多いが、上記以外では主なものとして以下が挙げられる。
  • 教育活動よりも、各種集会への動員、選挙活動など組合から指示される仕事に熱心な組合員がいる。
  • 教育基本法等で教職員の政治活動は禁止されているが、それを無視して選挙運動を行っている。北海道教職員組合では、約1600万円の裏金を民主党候補者に渡した。
  • 組織率の高い都道府県では、組合役員を経験することが管理職や教育委員会への登用など出世のための定番コースとなっており、御用組合となっている。
  • ゆとり教育を推進。日本の子どもの学力を下げた。
  • 自虐史観の歴史教育や行き過ぎた性教育を推進。そのための不適切な副教材の作成と使用を行っている。
  • いじめの増加や子どもが荒れる原因を作っている。
このような指摘のうち、事実に即したものもあるが、「ゆとり教育が学力低下を招いた」や「いじめの増加や子どもが荒れる原因を作った」などは客観的根拠に乏しい。
経済協力開発機構(OECD)が3年ごとに実施している「生徒の学習到達度調査」(PISA)の結果が、「ゆとり教育」導入後の2003年に実施された調査で前年までと比較して大幅に下落。そのためゆとり教育との関連が盛んに叫ばれたが、調査時点ではゆとり教育が始まって1年しか経っていないことや、その後のPISA順位の向上(2009年、2012年)もゆとり教育を実施している間であったりと、ゆとり教育がスコアにどのような影響を及ぼしたのか、不明瞭である。
またいじめの増加等についても、重大事件が起きるとそれに呼応して調査が行われ、認知件数が一気に増えることが大きく影響している。増加を客観的に裏付ける統計に乏しく、また日教組教育が原因であるという因果関係も明確ではない。

組織の変遷

日教組の加入率(全教職員数に対して日教組へ加入した割合)は文部省が統計を取り始めた1958年には86.3%と、非常に高い割合を示した(図)。全国の公立小学校、中学校、高校の教職員のほとんどが加入していたことになる。その後一貫して加入率は落ちているが、昭和30年代と1988年に特に大きく下落している。昭和30年代の落ち込みは、上述したような様々な反対運動を大規模に行った結果、社会的信用を失ったことが主な原因とされる。

(文部科学省「平成26年度 教職員団体への加入状況に関する調査結果について」より筆者作成)
また、1988年の下落は、労働組合全体の再編の中で、日本社会党を主として支持する「日本労働組合総連合会」(連合)へ日教組が加盟すると決定したことで、共産党系組合員が分裂し、「全日本教職員組合」(全教)を組織したことによる。
この他にも、日教組は小中学校の教職員が中心となっていることによる反発から、高校や大学の教職員が離反して別の教職員組合を作るなどの分裂も経験している。
なお、2014年時点で教職員組合全体の加入率は約37%であり、その3分の2を日教組が占める。

政界とのつながり

日教組は伝統的に日本社会党を支持してきた。現在は社民党と民主党を支持政党とし、「日本民主教育政治連盟」(日政連)という政治団体を持つ。現在日政連には衆議院議員1名、参議院議員5名、自治体議会では約200人の議員が所属しており、所属国会議員は全員民主党である。
横路孝弘(民主党/衆議院/北海道第1区)、輿石東(民主党/参議院/山梨県選挙区)、水岡俊一(民主党/参議院/兵庫県選挙区)、神本美恵子(民主党/参議院/比例区)、斎藤嘉隆(民主党/参議院/愛知県選挙区)、那谷屋正義(民主党/参議院/比例区)

日教組のこれから

1990年頃から新規採用教職員の加入率が20%前後を推移していることから、このトレンドが変わらなければ全体の加入率も近いうちに20%前後で落ち着くと考えられる。一部の保守論者からは「日教組は日本のガンである」などと言われているが、加入率の低迷、そして支持政党の民主党や社民党の低落傾向を考えると、日教組がそのような影響力を持っているとは考えにくい。
日教組が加入率を回復し、より健全に教育界の発展に貢献するには、自らの政治的中立性を推し進め、教育活動以外の運動に組合員が割く時間を減らすとともに、偏向教育と批判されてきたこれまでのイメージを払しょくすることが必要だ。そして労働組合本来の機能である、教職員の労働環境健全化に今よりも注力するとともに、多様な意見を取り入れた、客観的分析を基にした今後の教育のあり方の提言と実践が求められているのではないだろうか。

Platnews執筆記事より転載

2016年3月23日水曜日

共産党とは何か(Platnews)



民主党が大敗し、自民党・公明党が政権に返り咲いた2012年総選挙。

政権交代は「一強多弱」の始まりとなったが、同時に90年以上続く「長寿政党」共産党の新たな興隆の始まりでもあった。2013年参院選では改選3に対し8議席獲得。2014年総選挙では8議席から21議席と、まさに躍進続きだった。

そんな「波に乗る」共産党が、2015年9月に国会を通過した「安全保障法制」を廃止にするべく、「国民連合政府」構想を打ち上げた。民主党をはじめとする全野党に協力を呼びかけ、「安保法制廃止」一点に絞って本年7月の参院選で選挙協力をしようというのである。

しかし民主党保守派を中心に抵抗感が強く、「あり得ない」(民主党 岡田克也代表)、「シロアリみたいなもの」(民主党 前原誠司元外相)、とまで言われてしまい、構想は進んでいない。

一体、なぜ共産党はそこまで嫌われるのだろうか?



共産主義とは何か


共産主義とは、財産の一部または全部を人々の共有のものとし、階級と、階級間の搾取のない社会を作りだすという政治思想である。

では、どのようにそのような社会を作るのか。資本家をはじめとする特権階級は、労働者階級に同情し、自らの財産や特権を話し合いなどの平和的手段によって手放し、抑圧を止めることはあり得ないと考えられた。したがって、暴力革命によって労働者階級が特権階級を駆逐するしかないという立場を取るのが共産主義である。



日本共産党の発足

日本共産党は1922(大正11)年に「共産主義インターナショナル」(通称コミンテルン)日本支部として結成された。戦前・戦中は政府による激しい弾圧を受けるが、戦後合法政党として活動を再開し、「細胞」と当時称された学校や党員の職場等における基礎組織を中心に、党勢を拡大する。

1951(昭和26)年には「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」を決定。さらに、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」と「軍事方針」を定めている。

当時共産党が直接・間接的に関与したとされる事件は数多いが、一例を挙げると1952(昭和27)年の「吹田事件」(朝鮮戦争反対に関して暴力的なデモ行進を行った)や、同年の「血のメーデー」(デモ隊1名が死亡、デモ隊・警官隊合わせて約1,000名が負傷)などがある。

しかしこのような路線は国民の理解を得られず、1952年の衆議院議員選挙と翌年の参議院議員選挙では全ての候補者が落選する。困難な状況に直面した日本共産党は、1958年には方針転換を行う。それまでの混乱や武装闘争路線は一部の指導層の独断によって行われたものであり、党中央組織とは関係がないとした。この認識は現在に至っても同じである。



ぬぐえない暴力に対する不信感

これ以降、徐々に内部抗争や金銭的腐敗を一掃し、クリーンなイメージを打ち出すことになる。近年では共産党関係の目立った暴力事件は見られず、また党の綱領からも先鋭的な表現はなくなってきている。

しかしこれは第一段階として資本主義体制の枠内で民主的方法で勢力を伸ばし、第二段階で社会主義・共産主義国家樹立 へと動く戦略に基づくものであり、将来的に再び暴力的な手段に訴えないとはいえない、という慎重な見方も根強い。警察庁では、依然として共産党を「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」 として「重大な関心」 を払っている。



共産圏の世界的な退潮

また、共産圏の現状も共産党に対する信頼喪失につながっている。第一に旧ソ連の崩壊はソ連型社会主義の理論的失敗を露呈した。それにも関わらず、綱領で表現されている「社会主義・共産主義社会の実現」という理想や、党名を変えない点が、時代錯誤であると考えられても不思議ではない。

次に中国や北朝鮮、旧ソ連を含む他のほとんどの社会主義国で見られるように、いずれの国も「民主的」を謳いながらもおよそ一般的な感覚の「民主的」とはかけ離れた政体となっていることである。

これは、共産主義の実現のためには、一時的に「プロレタリアート」(労働者階級)による独裁(プロレタリアート独裁)が必要であるという理論に依っている。理論上共産主義の実現と(一時的な)独裁は切り離せないものであり、社会主義国家の多くが独裁体制になっているのはこのことによる。

日本共産党も1961年の綱領からプロレタリアート独裁の文言が入っていたが、1973年綱領では「プロレタリアート執権」となり、1976年にはその言葉も消えている。現在は革命の第一段階では「議会制民主主義の体制、複数政党制、政権交代は堅持する」と綱領に記載されている。



独自路線の貫徹が独善的との批判を招いた

また、共産党は他の政党とめったに選挙協力をしない。これは政策の違いの他に、日本社会党と長年対立してきたこと(したがって元社会党議員が多く在籍する現在の社民党や民主党とも相容れない)や、組織強化の戦略として選挙ごとに独自候補を擁立する方針を取っていることなどが理由として挙げられる。(このことは、結果的に野党陣営の票を割ることになり、共産党が打倒したいと考えているはずの与党を多くの場合利する結果になっている。)

加えて、これまでの歴史で共産党系の団体の多くが分裂を起こしてきた。1948年に生まれた「全日本学生自治会総連合(全学連)」は共産党の強い影響を受けていたが、1955年の共産党の方針転換により影響下から離れる。その後新左翼系学生達と共産党系の学生達の間で激しい争いが起こった。

また、1965年に部分的核実験禁止条約への対応をめぐって「原水爆禁止日本協議会(原水協)」(主流派:共産党)から社会党系グループ、日本労働組合総評議会(当時)系グループが脱退し、「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」を設立した。

部落解放同盟は元来共産党の影響が強かったが、政府の同和対策方針に対する確執から、同盟内における支持を失い、険悪な関係となっている。



変革への本気度が問われる共産党

以上、共産党につきまとうネガティブなイメージは、主に党が実現しようとする「共産主義」そのものに対する嫌悪感と、これまでの歴史で積み上げてきた様々な不信感が基盤となっているようである。

上記で紹介したように、近年は暴力事件も起こしていなければ、綱領も現実路線に切り替わってきている。しかしそれがどこまで「共産党の本心」なのか、共産党は本当に変わる気があるのか、多くの人がいまだ疑心暗鬼であることの表れが、冒頭の「国民連合政府」構想の否定につながっているのだろう。

結党94年を迎える老舗政党の本気度が、今問われている。

Platnews執筆記事より転載